元AKB48の前田敦子のモノマネで一躍人気になったキンタロー。
様々なモノマネ番組で見たことがある人が多いと思います。
そんな彼女には意外な才能がありました。
それは「社交ダンス」です。
私たちにはあまり馴染みのない社交ダンスですが、キンタロー。さんは10年ほど社交ダンスをしていました。
今回はそんなキンタロー。さんの快進撃を見てみたいと思います。
- キンタロー。のこれまで
- 一度諦めてしまい長いブランクが…
- 日本大会優勝!
- なぜ復帰することにしたのか?
- まどろみ(まとめ)
キンタロー。のこれまで
いつも明るく見えるキンタロー。さんですが、彼女の人生には意外なストーリーがありました。
キンタロー。さんは25歳で母親を亡くしています。
当時不動産会社に勤めていたキンタロー。は結婚式の余興の際大学の先輩から
「お前はお笑いの世界に行くべきでこんなところにいる人間ではない」
と、お灸を据えられたことをきっかけに29歳にしてお笑いの世界に入りました。
この時にこう思ったそうです。
天国にいるお母さんのために、頑張っている姿を見せたい。そうすることで、お母さんも笑ってくれるし、家族も元気になるに違いない
先輩に背中を押してもらい、天国にいるお母さんを笑わせたくてお笑い芸人を目指した…なるべくしてなったのですね。
実は大学時代からスピーディでキレのあるダンスに一目惚れして大学からは競技ダンス部に所属している。
その際に当時組んでいた男子と社交ダンスの全国大会で4位の高成績を収めていた。
しかし、大学在学中に吉本興業の「金の卵」オーデションに合格し
部内の人から「お笑いかダンス、どっちかにしろ!」と言われダンスに専念することに。
お笑い芸人、不動産会社で勤める前は名古屋市瑞穂区で社交ダンスの講師をしていました。
社交ダンスの才能は凄まじくロンドンでの世界大会にに出場する日本代表の座を勝ち取ったものの
父親が病気になってしまい辞退したそうです。
せっかく勝ち取った世界大会出場権を辞退してしまうのはもったいなかったですね。きっとキンタロー。さんもやるせない気持ちだったと思います。
一度諦めてしまい長いブランクが…
キンタロー。さんは2017年に競技から離れてしまいます。
お笑い芸人としても人気を博し大忙しのだったことや、妊活などのこともあったそう。
このことからあまり練習時間がとれなくなりブランクが開いてしまったと考えられます。
ペアのロペスさんもそれぞれの道を歩んでいましたが、社交ダンスへの思いはずっと燻っていたのかもしれません。
日本大会優勝!
2818年5月に開催された社交ダンスの日本一を決める大会「シニア 選手権ラテン」で
見事優勝し日本チャンピョンになりました。
この後は世界選手権に向けて頑張る!」と涙をこぼしていましたが…なんと結果は7位!
これはアジア人の中で一番高い順位だったようです。
やっぱりキンタロー。さんには天性の才能と凄まじい努力があったからこそこの偉業を成し遂げられたんだ…。
なぜ復帰することにしたのか?
6年間社交ダンスという競技から離れ、ブランクも大きかったキンタロー。さん
なぜ復帰を決意したのでしょうか?相当の覚悟が必要だったはずです。
復帰を決意したのはペアのロペスさんからのたった一言
「もう一度、あのステージで踊りたい。その夢を一緒に叶えないか?」
こんなことを言われてしまったら、胸の中に眠っていた思いも疼いてしまいますよね!
この一言をきっかけに、現役時代から18キロも体重が増えていたキンタロー。さんですが
筋力と体力の向上のために厳しいトレーニングを再開します。
- ランニング
- 筋トレ
- エクササイズ
- ヨガ
- ストレッチ
かなりストイックですよね、キンタロー。さんの本気度が伝わってきます。
並大抵の努力ではこんなに引き締まったボディーにはなれませんよね。
本当にすごい…。
まどろみ(まとめ)
今回はキンタロー。さんについてのお話をお伝えしてきました。
- キンタロー。さんは大学時代から社交ダンスを始める
- 6年間のブランクもあったが、体を絞り見事日本一に!
- そして世界選手権で7位!(アジア人歴代最高)
いつもみんなから笑いを取っているイメージの方が大きいキンタロー。さん
彼女には実はすごい才能があったみたいですね。
神二物を与えずというけれど、これは案外間違っているのかもしれません。
できる事、したい事に向かって努力をすればいつか届くかもしれないという希望を見せてくれた気がします。
皆さんの夢はなんですか?よければコメントで教えてください!
それでは今日はこの辺で失礼します!
おやすみなさい…。明日が少しでもいい日になりますように。
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